よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

泣き虫お母さん

 ほかほかの赤ちゃんの匂いには、甘いミルクの香りも混ざってる。よく言われる通り、つきたてのとろけるお餅のようなふわふわほっぺに顔を寄せれば、いつでも確実に笑顔になれる。

 「ダウン症候群というラベルを貼るためではなくて、この子に起こりやすい合併症に対して早目の対応ができるように、染色体検査をお勧めします」と言ってくれた、NICUの小児科の先生には、とても感謝している。幸せって何だろう、人間の真価って何だろう、人生の意味って何だろう。そんな、思春期の頃に呟けば「それは大切な疑問だね、いっしょに考えてみよう」とか「頭でっかちなこと言ってないで、先に宿題を済ませなさい」とか言われそうな形而上学的なフレーズが、リアルな日常の問題として立ち上がってくる。

 産後の5泊の入院中、病室で泣いていた私に「赤ちゃんの前では絶対に涙を見せてはいけないよ」とアドバイスしてくれたのは誰だっけ。「子どもが大変な時こそ、親は強く明るくいないといけません」とメールをくれたのは、大病を乗り越えたお子さんをもつ上司だ。

 子どもをNICUに残して私だけ先に退院した日、夫の運転する車の助手席で、まだ結婚前に付き合っていた頃を思い出して。子どもが退院してようやく生活が落ち着いてきた日曜日の朝、授乳と私たち夫婦の朝食を終えて、子どもはベビーベッド、私たちはセミダブルのベッドで朝寝をしながら。何も言葉にすることができないまま、涙を流してそれが鼻水にもなってずるずるしている私に、「泣いていいよ」と言って頭を撫でティッシュを運んでくれる夫。彼がこの子の父親なんだ。

 私はこの子を授かって幸せ。この子は、私が精一杯の愛情を注いで、絶対に幸せにする。だけど夫には、ダウン症候群でない、いわゆる普通の子の父親になってもらいたかった。そう思ってしまう理由もよくわからない。まだ混沌の日々が続いている。