よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

自分が気になるのは、自分の世界にいるからじゃない?

 自分の意志でやることが、どこまで本当に自分が選択したことなのか。自分ってどこまでコントロールできるんだろう。そもそも、自分って何だろう。そんな、よくある話。國分功一郎「中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)」。                        

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 それが言語の世界になると、能動態と受動態の間の「中動態」という小難しい用語が登場する。まあでも一度「中動態」という言葉に慣れてしまえば、世界の縮図のような文法で説明される現象には、なるほどという実感がもてる。風邪をひいて熱に浮かされるだけで、コンビニ行ってプリン買ってきて食べてる私は誰だろう?みたいな感覚になるし。プリンの味もいつもと違うし。
 それにしても、この本は哲学を引用したり、外国の昔の文法を解説してくれたり、飛ばし読みしたくなる。もっと簡単にわかりやすく書いてくれればいいのに。それができない内容ではないと思うんだけど。

 子育てすると、もれなくオッカムの剃刀がついてくる。物理的にも時間が足りなくなるしね。IQの低い子供に、何が出来て何が出来ないのかを毎日見てるしね。そして子供が素晴らしい存在であることを、理屈抜きで認めざるを得ないから。世の中、小難しいことをこねくり回す必要なんか無いんだよ。活き活きとした生命でいるためには。生きる力はそこからは生まれない。自分がどこまで自分の意志で動いているのかなんて、気にならないんだ。もちろん、難しい話は、時にその先の世界を拓いてくれるんだけどね。