よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

同じ動きをするということ

 あはははと笑ってしまう。タガが緩んだみたいに。理屈抜きに愉快だ。ニャタといっしょにラジオ体操それからストレッチも。私が右手を上から、左手を下から、両手を背中で組む姿勢をすると、ニャタは精一杯真似をして、普通に後ろ手を組む。私が片足を曲げて背中の方に手で引っ張り大腿四頭筋を伸ばすと、ニャタは四つ這いになって片足を挙げる。

 もし人工知能を搭載したヒト型ロボットが同じことをしたら、私の片足伸ばしに似た姿勢として、四つ這いの片足上げという結論を出すだろうか?それに、自分は2本足で立ったまま片足を挙げられないという判断を、やってみる前に瞬時に下す、ニャタもなかなかセンスが良い。ニャタの無意識は、片足を挙げるということを、私の大腿四頭筋伸ばしの特徴として捉えたのだろう。考えてみれば、四つ這いで片足を挙げれば大腿四頭筋が伸びるではないか!そして片足立ちすることと、両手片足の3本で体を支えることの違いは、二の次として切り捨てたのだ。誰に教わったわけでもなく、運動の本質を抽出するこの能力は何だろう。

  ニャタは私の運動を見て、理解し、自分の体を動かす。私と全く同じ運動ができないのは、ニャタの認知能力の不足なのか、運動機能の限界なのか。あるいは、そんな順序で物事は起きていないのかもしれない。例えば、私の運動の情報が彼の意識下にある視覚性認知とは別の経路で処理され、ミラーニューロンの働きで彼の動作が発動される。その彼の体の動きと、私の体の動きの誤差が認識され、誤差を最小にすべくニャタの運動の指令系統にフィードバックがかかるのかもしれない。

 それにしても、ニャタといっしょに体を動かすのが、どうしてこんなに楽しいんだろう。体の奥から湧き上がってくる喜びを感じる。理性ではなく身体で、同じ動きをすること、真にあるいは邪なものなく分かり合い共感することに、安心しきって、生きる力の蓋が取れて流れ出てくる感じがする。これはきっと、原始の情動だ。