よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

今夜は暗いお母さん

 なんでこんなに疲れているのかと思うけど、当たり前だ。「何時間以上寝ないとダメなタイプ」とか「体力がなくて休日は家に居たい」とか言っていた独身の頃の自分は、何言っちゃってたんだかってくらいの生活を今はしているんだから。体中が痛いというのは、足がむくんで頭痛があって、肩こりと腰を悪くしたので手足に神経痛が走って、胃がキリキリしてついでに息切れと動悸もして、という満身創痍のことを言うんだな。子育てのしんどさを身をもって知ったところで、何の救いも得られないという現実にも同時に気づいてしまった。

 朝がしんどすぎて、子どもが起きてもすぐに起き上がってあげられなくて、自己嫌悪。そんな朝を思って、夜寝るのさえ嫌になってきた。お金の心配も辛い。自分史上最大の貧乏が気にもならないくらい、愛しい我が子の健康を促進するものさえ買い控えたくなる経済状況に心を蝕まれる。こんなではいけないと、ちょっとだけ自分へのご褒美でもして気分転換を図っても、いつでも美味しかったピノも、マウントレーニアカフェラッテも、甘さばかりがべたべたする。甘味を楽しむにも体力が必要であることを知った。

 誰かに頼ってでも、その方がこの子のためになるのならと、プライドが高いといわれてきた私なりに全てを投げ捨てて見ても、頼る相手がいない。夫はこの状況の元凶だし、昔からそりが合わない母には子連れの出戻りで散々お世話になってて何を言われても我慢するしかないし、子どもの頃は仲良し兄弟だった兄とはいつのまにか疎遠になったきり、そして父という存在は私の人生の途中からほぼ無い。

 必殺級の子どもの寝顔を見れば癒されるかと思えば、ゆっくり見ることもできない。寝かしつけたらすぐに、家事を片付けにかからなきゃ終わらない。日付が変わるころ、ようやく並んで敷いた布団に入れば、2年間積もり積もった寝不足と疲労で即寝落ちしてしまう。

 子育ての大変さは必ず過ぎ去るというけれど。シングルマザー状態で障害持ちの一人っ子を育てている私に子育ての終わりがくるのなら、それはこの子が早死にする時じゃないの、と毒づきたくなる。せめて誰かが、「自分は夫と協力しあえるし」とか「たまには(義)両親に子ども預けられるし」とか、自分の方がマシだと元気を出してくれれば、私も浮かばれるのかなと思う。ただ、私より大変なお母さんはと言えば、こんな生活で自分も体を壊した人だろうと、容易に想像できる。そして考えるだに、私はもっと暗い気もちになる。だから私の話が誰かの役に立つなんてことも、無いんだろうとわかったところで、この文章を書くモチベーションも尽きた。