よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

おしゃべりは苦手だけど、聞いてます

 子供は未知数で可能性に溢れているなんて、ありきたりだけど、本当にそうだと思う。教育していく上で、忘れないでおきたい。

 まだ歩けないし、しゃべれないのに、こんなに言葉を理解して覚えておけるなんて驚いた。そんな出来事が続いている。認知機能はモジュール説、ある意味で真理だ。もちろん、独立したモジュールではないし、本人の理解や記憶のアウトプットを評価するのに、受け取り手の主観も入る。だけど逆に、それが現実世界に好循環を生じるとも思う。つまり、「子供が分かっている」として私が扱うことではじめて、子供の理解はこの世に存在することになるのだから、子供の理解を支持的に育てるには多少の買い被りが必要なのだ。そして、言語理解の発達は、関連するモジュールにも波及していくのだ。

  • 具体例その1

 2歳を過ぎた息子ニャタが、寝かしつけで延々とおっぱいをして困る。汗をかいて、アセモができることが、一番困る。それなので、ある日の夜、言い含めてみた。「おっぱいをして寝ると汗をかくので、少しおっぱいをしたら、抱っこひもで寝ることにします」と。それから、寝かしつけを始めたら、途中でおっぱいから離れて座った。チャンスとばかりに抱っこひもをセットしたら、大人しく入って来た。「まさか、理解して覚えていたの?」「いや、まさかね」と、思いながら。途中でちょっと顔をおっぱいにこすりつけてきながらぐずったけど、こじらせずに、手でおっぱいをいじりながら寝た。言えば分かるし、一定の効果はあるらしい。

  • 具体例その2 

 夕食の時に、「音楽かけようか、何がいい?」と聞いたら、ニャタがスピーカーを指さしてから、わざと咳込んで見せた。それをみたバアバが言うには、昼食の時にバアバが歌ったらムセてしまって、「もうご飯を食べながら歌うのは止めておくよ」とニャタに告げたらしい。言われたことを理解して、覚えていたの?

 

 言いたいことを伝えるのは、難しい。大人になって、ブログを書くのもそう。つまらない言葉、的を得ない説明に、本質や感動が埋没してしまう。やっぱり子育て分野はマンガ描ける人たち強いよね、面白いもん。と問題のすり替えをしつつ、キャッチ―に書けない私はキャッチ―には伝えられないことに、取り組んでいきたいと思う。話すことが難しい息子も、私の背中を見て、努力していって欲しいと思う。ゆっくりでいいから、いつか、自分が本当に伝えたいことを、その一部でも、限られた人だけにでも、伝える努力をし続けられる人になって欲しいと思う。