よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

子育てが終わった気がする

 ニャタが完成した。トテトテと2足歩行する。スプーンで刻み食を与えると咀嚼嚥下する。様々なバリエーションで発声する。オリジナルの擬音語や身振りで、言いたいことをかなり伝えてくる。この間、夜中に下痢した日の夕飯では、みぞおちを抑えていた。その時は気づかなかったけど、お腹が痛かったんだ。何日か経って、近所の子供の泣き声が聞こえたら、みぞおちを抑えてみせた。「お腹が痛くて泣いているのかな」と言ってあげたら、頷いていた。

 これだけの機能を備えていれば、完成でいいんじゃないか。私は仕事で、障害者の人と接することが多いので、口から食べられて動ければ結構なものだと感じるのかもしれない。呼吸器もついていないし、車いすもいらないなんて、随分と高機能じゃないか。

 必要以上なくらいのこともできる。くしゃみの真似をしてからソファーの上を指さす、という一連のセットとか。「ハックション、あれはクッション」というギャグだ。2歳にして持ちネタあり。私がニャタと遊んであげるつもりで踊ると愛想笑いで拍手してくれたり、物を隠して「見つからないんだけど」と言いに来たり、いろいろと複雑なメンタルも持っている。

 「可愛いから、もうこれ以上成長しなくていいのに」と、子供の父親と同居していた頃に言われた時は、非常に腹立たしかった。ニャタはあなたが飼っていた犬みたいに愛玩動物じゃない!障害をもったニャタの将来をきちんと請け負ってよ!と思ったものだ。私が今、ニャタはこれ以上発達しなくてもいいのではないかと思うのは、別の感情だ。彼と私が同じ世界に住んでいることが実感でき、彼が人生を楽しんでいることが明らかにわかり、私が彼の世話をするに負担感が少ないこと。これ以上に何を望もうか。

 こうなってみると、今度は彼あるいは私に中途障害が加わることや退行の心配をしたりする。いつまでこの幸せが続くのだろうかと。しょうがない、母親というのは心配し続ける生き物なんだ。たくましく育つ子供を前にしてもね。