スペシャルニーズの日々

この世界を楽しく生きていくために。

自己実現からの解放

 自分が「美味しい!」と思うものを、食べなきゃいけないような気がしていた。もっと美味しいものを探して、そういうものを食べられるように、努力しなきゃいけないというプレッシャーを無意識のうちに感じて、押し潰されそうになっていた。

 食べ物のことだけじゃない。人生を充実させ楽しまなきゃいけないとか。偉業を成し遂げられないのはもちろんのこと、「自分らしく生きなくたっていいじゃない」と言われるようになった最近の世の中でも、まだ「自分の人生に主観的な満足感はもつべき」というような規範に絡めとられていた。

 美味しいものを食べなくていい、という解放。ニャタが生まれて、私にもたらされた祝福。私はこの子を一生懸命に育てればいいのであって、子どもに美味しいものを食べさせるのが至上の喜びではあっても、虚空をのぞき込むように自分の幸せなんて追求しなくていいんだ。離乳食を用意し食べさせる片手間に、冷蔵庫の残り物やコンビニで温めてきたものを、自分の口に放り込めばいい。この子の親として健康を維持できる程度に。なんて心が軽いんだろう。

 生きる意味を、他人である子どもに見出すのとは違う、と信じている。なぜならニャタは、彼を通じての私の自己実現を許さない条件をもっている存在だから。自分よりも大切な存在を持てたというか、「愛されるより愛せ」の境地というか。とにかく毎日が充実して、自分の人生を終わらせるような状況になったことで、かえってこんな涅槃に到達できるとは思わなかった。

 ニャタは寝る前の時間に、両手に鈴を持って、謎の歌のようなものを唸りながら打ち鳴らしていた。古代に行われた「豊穣の祈り」のような感じだった。今日も楽しい一日を過ごせたという気持ちがあったに違いない。私は母親として安堵したばかりでなく、ニャタに感謝もした。きみの存在に救われているよ。

 世界が余程変化しない限り、子どもを持つことは無く、結婚することもまず無いニャタだから、彼のことは自己の森に迷い込まないように育ててあげなければいけない。彼の知的適性は、きっとその助けになると思う。きみは良くできた子だよ。