よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

寝る前のひと時と心象風景

 ぬいぐるみの猫が倒れるのが面白くてしょうがない、という設定になったらしく、猫を倒しては、爆笑する真似をして、それから本当に爆笑していた。何度も何度も、繰り返し、これをやっていた。

 楽しい時間、幸せな時間、嫌なことも心配ごとも忘れさせてくれる時間。たいしたトレードオフさえ要求されない。それをやるだけの時間と、あとは寝る前だったのに興奮しちゃったから、少し寝つきが悪くなったことかな。大した犠牲ではない。

 こんな時間を過ごす可能性を放棄してまで、他のことを捨てられない人なんて、理解できないし、説得する気にもならない。そしてこの世のどこかには、この時間を共に過ごせるのなれば、それなりに大切にしてきた何かを差し出しても良いという人が、きっといるはず。

 言葉というものはそれ自体が恐ろしい力を持っており、真実でないことも、益なく害であることも、文法としては成り立つ体で表してしまう。そしてその形式だけ正しい言葉は、人の心を傷つけたり歪めたりすることが出来てしまうのだ。例えその内容が正しくないと頭では分かっていても、人間は理論をベースに機能しているのではないから。かえって、その邪悪な力が、論破するエネルギーを減じてあたかも正しいかのような印象を与えさえするのだ。

 ただぬいぐるみの猫を倒して、笑う真似をして、本当に笑う。この訳のわからなさが、人間の本質なのだと思う。私は言葉の世界をかき分け、必然的に傷つくことも否定せずに、この子がいつまでも笑っていられるように、それを見守っていけるように、何かを探しているらしい。

にゃらんがゆく

(我が家の猫のぬいぐるみは、「にゃらん」らしい)