母を看取って、ニャタを看取ったら、何しようかな。健康とお金が少し残っていたら、やっぱり21トリソミーで生まれてきた人たちのために、何かしたいかな。命しか残っていなかったら、無意識でニャタの思い出に浸っていたい。そんな贅沢な時間があったらいいな。
子どもの頃の私は、一人残って死んでいくのが怖かった。親になって、大事な人を見送ることが出来たら、思い残すことなんてないだろうなと思うようになった。(もしニャタが残ったとしても、大丈夫なように、幸せな思い出をたくさん残してあげようと思うようにもなった。)
家族を増やして賑やかになりたいと思ってきたけど、分かり合えない人、私の大切なものを傷つける人を遠ざけることが幸せへの近道な気がしてきた。人生の折り返し地点を過ぎただろうな、という年齢になって(平均寿命に比べたら、まだなのか)。
それでも、どこかでパートナーを探して、また赤ちゃんを迎えたいと思っているのは、否定できないけど。
ニャタが卒乳して、一人で歩くようになって、言葉も出てきて。私はまた、一人の人間に戻りつつある。久しぶりにYoutubeとタイピングすれば、coccoの新曲が出てくるけど、フジファブリックはやっぱり若者のすべてなんだ。生き残るってそういうことだ。