ニャタを扱う態度が教育的でなかったカアカア=私に対して、バアバが怒って無視したのか、飽きれてかける言葉を無くしたのかは分からない。ただ、そこで「バアバ、無視してるね」とニャタに言った私はいけなかった。ニャタはニッコリして「ウシ」と言った。私は「牛じゃないよ、無視だよ」と言った。ニャタは更にニッコリして「ウシ!」と言った。
それ以来、バアバがニャタの好ましくない反応を消去しようと構わないでいると、ニャタは嬉しそうに「ウシ―」と言うようになってしまった。なんなら、小さな声で「…バアバ…」と呼んで、私に向かって嬉しそうに、バアバを指さしながら「ウシ!」と言う遊びも始まった。
そして今夜、ニャタは「ピッツア」「(薬指を指してお姉さんサイン)ドウゾ―」という最近何回も繰り返す思い出を語った後、「(お姉さんサイン)ウシ―」と言った。テイクアウトでピザを買ったのは2週間ほど前だけど、「無視」を知ったのは1週間くらい前で、そして今夜はじめて「ピザ屋のお姉さんが無視した」旨を語ったのだ。そうだよニャタ、ピザ屋のお姉さんは、はじめカアカアが注文しようとしてカウンターの向こうに「すみません」と発する声になかなか気づかなかったのだ。
ニャタは無視という言葉を、概念を得たのではないのだろうか。この子たちは抽象概念を獲得することが無い、だから「大人」にならないのだという言説を聞いたことがあるのだけれど(ピーターパンみたいだ)、これはただの言語ゲームなのだろうか。
こんな風にニャタと楽しくおしゃべりしていたら、突然「サミシー」とニャタが言った。なぜ?と思ったら、「バ、バ」と。だらだらしている私たちに構わず、一人で家事に勤しんでいるバアバのことを、寂しかろうと慮ったらしい。
そうだねニャタ、バアバもおしゃべりの輪に入れてあげないとね。まあ本当は、私が仕事から帰ってきてニャタのお世話を引き取ったから、今度は家事をしてくれてるんだけどね。
ニャタは自己中心的視点を脱却して、広い世界へと冒険を始めたらしい。ニャタが外に向かうほど、突き当たるであろう壁、襲い掛かるかもしれない災難の心配をしてしまうカアカアだけど、できるだけそっと見守っていきたいと思うよ。