スペシャルニーズの日々

この世界を楽しく生きていくために。

味の素みたいな幸せの素

 ベビーカーの子供が泣き叫んでいる。ニャタが涼しい顔をして、小指を指す。「赤ちゃん」のサインだ。

 いやいやあなたも赤ちゃんに毛が生えたくらいですから。3歳になったばっかりだから。何なら今でも食事は中期離乳食だし、そうやって発語もないじゃない?

 ニャタには先天性のというか発達障害による運動性失語がある。その他いろいろな障害があって、なかなか受け入れてくれる保育園が見つからないし、プレ幼稚園も無理。ということで、おうちでのんびりと過ごしている。だからたぶん、本人は自分が障害児であることを知らない。たまにお友達母子が遊びに来てくれるけど、「自分と違う子供が来た」くらいの認識だと思う。療育にも通ったりするけど、そこにはそれこそ障害児しか来ていないし。

 脳梗塞とかで後天的に失語症になった人もいろいろだと思うけど、どんなに前向きな人にとっても、後天性は機能レベルで喪失体験だろう。逆にニャタは、個性的な育ちをしているだけ、とも言える。昨日できなかったことが明日できるようになる、かもしれない。健常児と発達の速度や内容は違うけど、前述のように比較されることもない。ニャタは天真爛漫である。

 ニャタが生まれて、私は障害を個性という先輩ママたちが不思議だった。障害は障害として、医学的にも社会的にもサポートして欲しいと思った。それが徐々に、うーん確かに必ずしも障害ではないかもしれない…と思うようになってきた。確かに、周囲次第で、3歳になってもしゃべれないニャタは別にただのそういう子かもしれない、と。

 ニャタは毎日楽しそうである。何かできないとき、伝わらないとき、思い通りにならないときに癇癪を起すことはあるけれども、日々挑戦することを、成長することが、心から嬉しそうである。そんなニャタと過ごす毎日は、私とって僥倖である。別にニャタが障害児であるからではなくて、単に子供だからとか違う理由だとしても。ニャタは障害児なのだから、障害児がこんなに私を幸せにするとは、障害児が私にとってこんな宝物になるとは、ニャタの障害がまだ分かっていなかった出産前には、思ってもみなかった。

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