スペシャルニーズの日々

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お臍祭り

100歳のお臍

 100歳近い女性の、お臍を見た。偶然見えてしまったので、経緯をあまり詳しく書き記すことはできない。ただ、年齢は憶測ではないし、間近で裸のお臍を見たのは本当だ。

 お臍って、その人が生まれる前、お母さんのお腹の中にいた時に、お母さんの体とつながって、生きるため育つための酸素や栄養をもらっていた部分だ。というか、そういう役割のへその緒が、生まれた後に不要になって、とれた跡がお臍だ。

 だから、100歳の女性のお臍は、100年前にその人がお母さんのお腹の中で、お母さんとつながっていた証拠だ。

お臍のお祝い

 お臍には、そんな大事なエピソードがくっついているのだ。そして、不要になっても、100年経っても、その痕跡をなぜか残しているのだ。私たちがそんなお臍を意識する時って、あんまりない。たまに、お臍の掃除をする人なら、その時にはじっくり見るだろうけど。ピアスをしている人も。でも、普段は、多くの人は、お臍に注目することなく暮らしていく。

 だからたまには、お臍の存在を改めて祝う日があっても良いと思うんだ。それは、自分が大切な存在であることを確認するお祝い。親に感謝するお祝いではない、感謝すべき親がいない人だっているだろう(亡くなったからではなく、望まない妊娠の結果と言われた人とか、虐待された人とか)。そうではなくて、自分という人間が、誰かの胎内で大切に育てられるべき生き物であり、命がけの出産に値する成果であり、手間をかけて育てられるだけの価値ある人間であるということを、思い出すための祭日が必要だと思うんだ。

お供え物をしよう

 お臍のお祝いの日には、自分のお臍をちょっと見てみるといいかもしれない。目が見えなかったら触ればよいんだけど、そういうことが出来なかったり、手術か何かで形としてのお臍が無い人もいるかもしれない。だから、お祝いの時に、お臍をみることは必須ではない。

 自分が好きな食べ物とか、欲しいものとかを、お臍へのお供え物として用意しよう。そしてそれらを、自分で消費しよう。今の私だったら、何を供えようかな。スタバの抹茶ミルクとセブンのモンブランとおでんのはんぺん、それから入浴剤付きのお風呂かな。

 人に感謝することや、誰かに大切にされた記憶も良いものだけど。忘れちゃいけないのは、自分のことだと思う。