「個人的な体験」を読んだ。生まれた子の脳に障害があって、まだ母親が産後の入院中に、父親が浮気している。ひどい時代だ。
そんな時代でも、母親は終始赤ちゃんの心配をしている。父親は、子どもをちゃんと治療する決心をするが、結末では、元気に退院する赤ちゃんが描かれていて、手術をしたら大した病気ではなかったなんてオチになっている。安易な結末に思えた。大江健三郎には障害児がいて、大江光さんという後に作曲家になった素敵な人だ。そのお父さんが、なぜこんな安易な結末を、と思った。
著者の後書きでは、「アステリスク以降=ハッピーエンド部分」に批判が多かったが、著者にとってとても大切で決して削るなどできなかった旨が書いてあった。はっと気付かされた。後書きを読むまでもなく、大作家が適当な文章を書くわけがなく、しかも小説の結末にそうするわけがないのだ。
障害児の受け入れを、障害を持たない人と話すのは難しい。それは受け入れでさえないのだ。何といえばこの感じを伝えられるか、それは「障害ではなかった」としか言いようがないではないか。この子はこういう子で、このままで、私の大切な子。受容ではなく、もちろん拒絶や諦めなんかじゃなく、この子の存在は喜びでしかない。負け惜しみでも、開き直りでもなく。なんていうか…やっぱり、「障害ではなかった」としか言いようがないんだ。
昭和の時代は、長文を書いて、有名な作家じゃないと皆に読んでもらうのも難しいし、何とも大変だったなあと思う。いまならツイッターに一言、それで桁違いの人たちの見てくれるんだから。そして久しぶりの文学は読みにくかった。名作が読み継がれるみたいな文化は、これからどうなっていくんだろう。