よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

育児における自責感

 スタバの米粉チョコマフィンを夜中に食べたら、米の味がして面白かった。スタバでデカフェコーヒー飲みながら食べられたら、もっと良かったのに。ニャトがいるから、全然そんなこと出来ない。今日買い物できたのだって、奇跡的。

 ニャトは行きたいときに行きたいところにしか、行かない。コンビニと公園と祖父母家。それだけ。予防接種の時には、ギャン泣きを横抱きにして連行し、後で筋肉痛だか殴られ蹴られた痛みなのか分からなかった。二歳半にして四六時中おっぱいだし。夜中は何回も起きるし。正直疲れた。

 でも、ニャタの時には一切感じなかった、私の育て方のせいかも、という自責の念に苛まれている。あるいはお腹にいる時に私が幸せに暮らしていなかったとか? ニャタの時に暗黒期が無かった(という記憶になっている)ことの方が変わっているけど。逆に私は障害を差別しているのかな。ニャタはどうであっても生まれつきの障害のせいだと。

 確かなことは、ニャタの時は母親としてしょっちゅう褒められたのに、ニャトの時にはうっかりすると責められるということだ。ニャタは良く育っている、私はよくやっていると、病院でもどこでも積極的に言ってもらえた。ニャトの時には、どこかに相談する度に、私の態度にも言及された。例えそれが責める内容でなくても。

 スタバのテイクアウトバッグに桜の絵が描いてあってはっとした。色遣いが好きだ。桜が咲いても花見なんて出来ない。私に春は来るのか。去年は来なかったけど。それでもニャトのことが、ニャタと同じくらいに大好きだ。