脳の右後ろの方に、顔を見分ける部分がある。紡錘状回という(紡錘状の形をしているのか? 紡錘って何だ?)。目に見える顔が誰だか、記憶と照合する。ここが壊れると、目が見えて、記憶があっても、見える人が誰だかわからなくなるという。不思議だ。生まれつき、そんなことができるのかな? 赤ちゃんが、しっかり目が見えるようになって、お母さんがわかってそれ以外の人と見分けがつくようになって、それから他の人たちもわかるようになって、そうすると待ってましたとばかりに紡錘状回が働けるようになるのかな。それとも、目が見えて人の記憶ができても、紡錘状回が育つのを待って、人が誰だかわかるようになるのだろうか。
脳の中で、老若男女がどうやって判別されているのかも謎だ。というのも、たっちゃん(2歳)は「おひげのおじさん」が大好きで、それが高じて、髭が生えてなくても中高年の男性を見かけると喜ぶのだ。たっちゃんの脳にある老若男女見分け機構はたまにエラーを起こして、地味なおばさんをおじさん認定する時がある。男性の中で、若いか中高年かの判断を間違うことはない(少なくとも人生経験を重ねてきた私と同じ判定を下す、私も見かける人の年齢を知っているわけではないけど)。顔にしわがあると高齢に見えるとか、目が大きくて顔のあまり上じゃないところにあると幼く見えるとか、いくつか言われていることはあるけど、それだけが全ては無いと思う。人間の、特に高次脳機能は、まだまだ未開の地なのだ。
性格が良さそう悪そうとか、どんな職業の人ぽいとか、人の顔をみてわかるというか想像できることはたくさんある。何を根拠にしてるんだろう? 経験とか知識の積み重ねだけではなく、むしろ先天的な能力に大きく頼っているんじゃないかと、たっちゃんの発達を見ていて思う。不思議だ。人間ってどういう生き物なんだろう。やっぱり神様が作ったのかな。