よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

コンビニでコーヒーを買うのが難しかった

 コンビニでコーヒーが上手く買えなかった。知的障害って、こんな感じなのかなと思った。

 セブンでは何回か買ったことがあるけど、初めてファミマで買った。モカブレンドを買おうとして、レジでの注文の時から不慣れなオーラを出していたのか、店員さんが親切に「スペシャルブレンドのボタンを押してくださいね」と教えてくれた(そういえばローソンで紅茶を買って、正解はお湯のボタンを押すだったけど、何を押せばいいのか分からなくて聞いたこともあったな)。

 普通のコーヒーのボタンの下に、Mのマークが付いて色の違うコーヒーのボタンがあった。モカブレンドのMかと思った。抽出が終わって、紙コップに溢れんばかりのコーヒーが入っていて、初めて間違いに気がついた。MはMサイズのMで、紙コップはSサイズだったのだ。でも、その瞬間からモカブレンドのボタンを探すのにも、しばらく時間がかかった。店に入る前に、看板で見て「モカって何だったっけ」って思ってから、私はモカにこだわりすぎていたのだ。店員さんの言う通り、スペシャルブレンドのボタンがあった。たぶんモカブレンドは、「今週のスペシャルブレンドはこれです」的な名前だったんだろうな。

 ニャタが生まれて、知的障害って何だろうって考えた。子どもの知能レベルにとどまっても、大人になるまでの時間をかけて知識や経験を増やしたら、知的障害は改善しそうなものなのに、どうしてそうならないのだろうと思った。「抽象思考が出来ない」という説明が、私には未だに今一つ理解できない。

 人が間違う時、その内容を細かく解明すると、「知識不足」の他に「(AとBが違うということを)区別できない、差に気づけない」とか「思い込み、勘違い」とか、そんな要因を聞いたことがあるような気がする。そして、人は曖昧さが苦手なので、手持ちの材料で虚構の世界を見てしまうとも。たしかに今日の私は、モカブレンドとかスペシャルブレンドとかの位置付けに気づかないまま、MはモカのMと勝手に決めつけてしまった。

 将来ニャタがこんな風に、自分だけちょっと違う世界を見て、現実世界で困難に直面するのかと思うと、親としてはやっぱり切ない。実際には、知的障害は無いはずの私も間違うし、ニャタだって何とかやっていくだろうし、本人の気もちは客観的事実との整合性と相関するとは限らず、つまりニャタはニャタで楽しくやっていけるんだと先人からは聞くけれども。

 ただ私は、お勉強を頑張ることで何とか生き残ってきたタイプの人間だし、世の中には他に良いものがあることにも薄々気づいている。ニャタは陽気で社交的な性格をしているから、私とは違う道を進んでいって欲しいし、その道を私にも見せて欲しい。