よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体ニャタは育っています

出来ないが出来るにならない

 知的障害がわからない。成人でIQが低い人でも、会話を楽しんだり、身の回りのことを自分でできたりする。でも、何かの時の対応ができなかったり、だから一人でできないことがあったり、するようだ。それから、私にとっては単純と感じるような作業でも、意外に色んな側面や工程があって、知的障害のある人にはできなかったりする。

 何歳程度の知能、という言い方も良くわからない。だいたいが、その一桁の年齢から想像するより「しっかり」して感じる。日常生活を送るにはそんなにIQ要らないとか、軽度知的障害は本人も周りも気づかずに成人することがあるというのも納得だ。だけど、子どものような年齢相応だとしても、その状態で何年、何十年と過ごせば、知識や経験が蓄積されて一般就労も出来るようになりそうなものだけど、現実はそうでもないみたいだ。

 ニャタは最近、こだわりが目立つ。決まった洋服を着たがって、それ以外だと癇癪を起こしたり。遊びからご飯などへの切り替えが難しかったり。でも、こちらがうまいこと気分を乗せるとできるから、感覚過敏みたいな理由は無さそうで、こだわりと言うものぽい。発達の遅れ=知的障害より、こだわりによる日常生活への支障の方が占める割合が大きい気がしてきた。

 知的障害というと、記憶力とか判断力、物事を筋道立てて考える能力の問題を想像してしまう。でもニャタの場合、こだわり、理性より感覚が優位になることや変化を好まないことが、知的な伸びを抑えているような気がする。昔、(健常の)親戚の年少の子に勉強を教えようとしたら、私も子どもだったので正解のやり方を示すばかりで、ちっとも相手の子の学力が変わらなかったことを思い出す。

 つまり、不足じゃなくて過剰の影響。親のひいき目かもしれないけど。でも、ただ足りないよりも、溢れるものを何とかしなきゃいけない方が、やっかいだったりすると思う。まあ、ごちゃごちゃこねくり回して考えても、そこにある現実に従うしかないのだけれど。

檻のなかの子―憎悪にとらわれた少年の物語