よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

言葉にできない毎日を、子どもたちと。

 同じ日々は続かない。特にニャトは今どんどん育っていく時だし。だけど、そう思って今をやり過ごすことは、すごく難しい。何気ない小さな幸せを、いつも意識して生活することはできないように。失われて初めて気づく類のことってある。

 日々変化していくニャトが愛おしい。3時間以上寝るようになってラッキーと思ったら、また細かく起きるようになり、でもそれは元に戻ったのではなく次のフェーズに入ったのだと感じる。首はまだ完全に座らないけど、寝返りの練習をするようになった。声を上げてよく笑う子だ。

 ゆっくり育つと言われているニャタが愛おしい。預けたら楽になると言われて、有難いことに祖母やデイ、ショートステイが声をかけてくれる。でも傍に置いておきたいのは、ニャトの面倒をみてくれたり私がニャトを抱えている時に物をとってきてくれるからだけではなく、私が不安でニャタを離せないのではなく、やっぱり私は理由があってもなくてもニャタが好きなんだと思う。

 毎日、違和感を抱えて生活している。必ずしもネガティブなものではないように思うけど、言葉に出来ない大きな気持ちがある感じがしてきた。これが産後うつと言われたら自分で否定はできないけど、二人育児・障害児育児でそりゃ疲れる(でも出来てる母親がたくさんいるんだけどね!)と言われても言い返せないけど。そうではなくて。

 下のおっぱい中に、上のうんち替えが発生すると、どちらも待たせられないなと思う。なかなか上の遊びにゆっくり付き合ってあげられなくて、下は泣かせておいても良いと言われるけど、やっぱり泣き声って破壊的でもあるし、慣れてはいけない気もするし。でもそういう大変さではなくて。何ていうか。自分の時間が欲しいという実感も無くて。トイレもお風呂もゆっくりできないし、食事も適当に立ったままばかりだったりもするけど、そんなことは大したことなく今だけ(?)のことだし、でも生身の人間には意外とそういうことが効くのかもしれないけど、でもそんなことでもなくて。

 二人の子どもという素晴らしいものを育てるのは、私の言葉も心も凌駕して凄まじい。予想を超えて突然やってきた新生児期の暴風雨を何とか生き延びて、日だまりのような0歳と6歳との日々を少しずつ。冬の暗く寒い時期を迎える前ではなく、春の前に出産した方が良かったのかなと思ったけど、散歩日和に上の子を十分出してあげられないのもストレスだろうし、何よりもう変えられない過去なのだから。今の夢は、暖かい春が来て、コロナもおさまって、子どもたちと散歩をすること。