よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

誰のために生きるのか

 「俺はニャタをおんぶするために生まれてきたのか」と、ジイジが苦々しそうに言った。背中でニャタは満面の笑みだった。

 ジイジは、なかなかに強烈な人である。そして、子育てをしてこなかったと、バアバに言われている。「24時間働けますか」の時代に、それを地で行っていた。いや、宴会が多かったのか。教育パパではあった。月刊誌の「小学〇年生」の、一学年上を私たち兄弟に買い与えた。それが、教育学的に良いものだったとは思えない。

 ニャタが生まれた時、ジイジの反応は全く予想できなかった。それに、私は心身ともにそれどころではなかったし、そんなに期待もできなかったから、なかなか会いにもこないし何も言ってこないジイジを、ニャタに関心がないのかなと思って気にしなかった。ぼちぼち顔を見に来てくれるようになって、ニャタが泣かないことを喜んでいるのを見て、よく泣く兄をあまり可愛がらなかったとバアバがこぼしていたことを思い出した。今思えば、ジイジはニャタのことや私のことを、色々考えたのだと思う。

 ニャタが3歳くらいになって、「染色体っていうのが1本多いんだって!」と、威厳をもって私に教えてくれた時には驚いた。知ってますけど、とは、とても言えなかった。ニャタが小学生になって、勉強を教えると言い出した。サイコロを振って丁か半かと教えだしたので、算数かと思ったら「運を強くする」と本気で言うので驚いた。

 バアバは、ニャタに出会うための人生だったのだと、公言している。私と親子喧嘩をしても、というか慢性的にそりが合わないという話だけど、ニャタのことは面倒を見ると言ってくれる。弟ニャトには、もちろんニャトの人生がある。でも、ニャタがいなかったら私は一人だったと思うし、ニャタがニャタじゃなかったら、私はニャタと二人だったと思うから、ニャトはニャタに感謝して欲しい。私だって、ニャタを私のキノコだと思っていたけど、いつの間にか主客逆転している。

 いったいニャタは、何人の人生を引き受けてしまっているのか。すごい力だ。