実録東京生活

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癒し系ロボットと知的障害児の異同について

 人工知能を搭載した何かにやってもらいたいことは、人間よりすごい将棋とか、医者の代わりとか、そういう頭脳系とか作業系とか。他に、ペット役というか癒しというか、そういう存在。

 子どもは可愛い。ペットには癒される。それは、IQが高くないから? そうじゃなくて、懐いてくることとか、思考が単純でかつ思いやりの心を持っていることとか(お母さんを喜ばせようとして、自分がお気に入りで食べかけのお菓子をくれるとか)。実際、乳幼児には、これまで考えられていた以上の能力が備わっていることがわかっている。透明な床の上はハイハイしないとか(下に落ちそう、怖い、という感覚を持っているということ)、単純に視力とか記憶力も結構良いことがわかってきている。

 子どもとか知的障害者とか、決していわゆるピュアな存在じゃないことはそうなんだけれど、そういう人たちに多い、いわゆる健常の大人に少ない、心に染み入るようなやさしさだったり、存在としての癒し。それは、記憶力や判断力が劣ることではなくて、未解明の認知機能なんだと思う。心の理論に近いのかもしれないけど、もっと知情意の情の領域なんじゃないかと思う。

 不気味の谷という現象がある。単に中途半端な人工知能は、人間味のないロボットにしか感じられないだろう。それと、健常成人の間には、不気味が横たわっていることになる。子どもが乗っかっている座標軸は、どこにあるんだろう。意図とか意志とか、感情とか心とか、そういうもの? それって何? 既存の認知機能に還元されないの? されるなら知能じゃないの?

 すやすやと眠るニャタを見て、しばし思索にふける。君は人知を超えたすごい存在ということだね。大好きな、守るべき人よ。