よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

赤ちゃんを迎える準備(きょうだい児編)

「できるだけ、やるよ」「考えてみるよ」という夫の返事にイライラしてしまう。生まれくるニャトを迎える準備をしているのだけれど。ニャト父でありニャタ父ではなかった夫は、あの修羅場を知らない。

 

ニャトの妊娠はプラスの体験になるかと思ったら、ニャタの出産育児に対する喪失体験だった。とりあえずニャトがマジョリティを想定して出産準備をするしかないのだけれど、おんぶ対応だっこひもはフロッピーニャタではおんぶできなかったし。

 

当時は必死すぎたのか、あまり喪失を思うことは無かった、と思う。覚えていないことがたくさんある。自分のお風呂をどうしていたんだろう?いつ窒息するか分からないニャタを置いて入浴したとも、近所の母に日中頼んで入浴したとも、記憶が無い。

 

24時間、3時間おきのタイマーで授乳していた。1回くらいはすっ飛ばしても低血糖で死ぬことは無いかもしれないけど(実際やらかしたことが数回)、2回飛ばしたらどうだろう。3時間おきといっても、上手く飲めない母乳タイム+お湯で調乳して冷まして哺乳瓶で粉ミルク+寝かしつけ+母乳維持のため搾乳+哺乳瓶や搾乳機を次に使えるように洗浄滅菌。次まで何分寝られたのだろう? これを繰り返す生活で、タイマー2回分6時間寝てしまっても、おかしくなかったと思う。NICUを退院して短期間で高熱により入院してからは、1日3回以上の体温測定を毎日3年間は続けた。

 

この子を生かすこと、その結果が全て。「できるだけ」「考えてみる」じゃ全然足りない。生き残ることを前提に作られていない生き物を生かすということ、更に言えば、ちゃんと育てれば長く生きるという保証さえなく、目標は天寿を全うさせるということ。

 

妊娠中のある時期からアプリが「お母さんの気持ちが伝わる時期になりました、幸せな妊娠生活を!」なんて告げてきたけど、全然そんなふわふわした気持ちになんてなれなかった。今も、離乳食形態で3歳児並みの体格を養う5歳児ニャタの食事を、産後のために必死で冷凍作り置きしている。ニャトも、ニャタを見習って生きるのだよ。

 

夫は今夜も私が渡したベビー用品レンタルカタログとにらめっこしている。ニャタの時は、当然のように私一人で選んでしまった。もし、ニャトにこんなに良いお父さんがいて、本人も障害無く生まれて来るのであれば、私がニャタをどんなに可愛がっても良いよね。