「赤いメガネ」をとって欲しいと言った。正確には、「メガネ」のサインをしながら「あー」と言った。
「赤いメガネ」は、私が数日前に買ってきた玩具だ。ニャタにかけて遊ぼうと思ったら、嫌がって、私にかけてと言ってはその顔を見て喜んでいる(自業自得)。でも子どもサイズで私には合わなくて邪魔なので、ニャタが寝たすきに目につかないところにしまっておいたのだ。そうしたら、朝ごはんの最中に思い出して、冒頭の発言。
ニャタには記憶があり、発言する意欲があることを知った。そして、半分オーラル、半分ゼスチャーというソリューション。彼にとって言語ってなんなのだろう。オーラルもゼスチャーも同等なのかな? 「メガネって言いたいけど、言いにくいなあ」みたいなことを思ったりするのだろうか。こっそり発音の練習をしてみたりするのだろうか(ずっと私かバアバと一緒にいるけどしていない)。
「もっともらしい説明はされているけれど、よくよく考えてみると適当に後付けでしょう、その説は」ということが世の中に沢山ある。子どもの発育に関してもそう。頭の中で言葉ができる仕組みさえ、まだ分かっていない現代、ニャタに安易なスキーマを押し付けずに、彼自身を尊重してやっていくしかないな。
でもやっぱり、私は彼が口頭言語を繰り出し、抽象度の高い概念を使用し始めたことを、喜んでしまっているのだ。ニャタ爆誕から3年。私はまだ修行が足りないようだ。