よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

面会交流とか共同親権とか、そういう話。

 子父との付き合い方を考えている。

 たまにでも楽しく遊んでくれて、気が向いたときに(ではなくて意味があるのかもしれないけど)おもちゃを買ってくれる人が、いないよりはいた方が、子供にとっては嬉しいのだろうか。特に、うちの子は親戚家族が少ないし。

 ちゃんと子育ての責任を果たしてくれないのに、都合の良い時だけ子供と過ごそうなんて許せない、と思うのは母親のエゴなんだろう。だけど、子供にとって母親は大きな影響を与える存在だし、母親の気持ちというのも、子供を中心に考えたときに無視してはいけないとも思う。つまり、母親は子供の前で、心から笑っていなきゃいけないと思うのだ。

 私がかつて味わったような辛さを、子供が、同じ人物のせいで被ることが心配だ。そんなことがあったら、防げなかった母親はバカなんじゃないかと思う。信頼を裏切り、絶望に陥れ、それを嘲笑う仕打ち。やっぱり、リスク管理の方が、オプション的な楽しさ嬉しさよりも、優先なんじゃないだろうか。でも、父親の存在はオプションじゃないからなあ。

 結論は、まだ出ない。その間にも、子供はどんどん育っていく。こうして私はまた、一人で悩んでいる。同居していた頃のように。子父だって悩んでいるのかもしれないけど、私の悩みを助けるようなことは何も起きないから、私は親として一人なのだ。

 考え方も感じ方も違う他人を前にしても、私は一人なのだ。でも、もう私は一人じゃない。ここに子供がいるから。子供と話し合えれば良いんだけどな、まだ小さいし、障害もあるし、私が考えて決めてあげなきゃいけない。お母さん頑張るよ。だから、ここにいてね。

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