万年反抗期のニャタは、否定形の文章を手に入れた。「パンツを履くしない」「食べるない」と、オリジナリティーをもって言ってくる。
ベビーサインはほぼ絶滅した。自然にお互いにサインでしゃべっていたようで、消えてみると寂しく感じる。広い世界から区別された、親子の絆みたいなものだったので。
ニャタも同じように、少し寂しく感じているなんてことは無いだろうけど、最後の打ち上げ花火なのか、突然復活した習慣もある。「おしまい」の手をすぼめて下げる手話のサインとか、「終わり」と口で言った後に、ふとやってみたりしている。私が真似すると、嬉しそうに繰り返してやる。それから、私が「しょうがないなあ」と言った後に、「あー」と低い声で言う嬉しさの照れ隠しのような合いの手とか。「これ」と言う代わりに、指さして低く「お」というのも、最近復活した。
親バカながら、というか皆それぞれ自分の子どもをそう思うのかもしれないけど、ニャタは希少価値があって貴重品だと思っている。全ての事象に意味があって、大事なことである気がする。