おままごとをしたいというので、ちょうど切ろうとしていたパプリカのヘタの方から、蓋を取るように大きめに切り落として与えた。それから、刃のついていないヘラのように切れるという子ども包丁と、100均のまな板を渡した。
何やら調子よくぶつぶつ言いながら作業しているので、ちょっと目を離していたようだ。ふと見たら、なぜか上手にヘタだけ取り外して、ポンデリングのような輪っかになったパプリカを、切れないはずの包丁で溝に沿って切り離していた。しばらく時間をかけて、2つ分のパプリカを綺麗に切り刻んだ。それから、フライパンとお玉を使って「温めて」いた。私がレンジを使い過ぎて、彼にとっては煮るとか焼くではなく、温めるという表現が、過熱方法の語彙になってしまったようだ。
「3つのお皿を頂戴」というので、小皿を3つ渡したら、「違う、3つの」という謎かけ。そうだ、よくニャタの食事を盛り付けるプレートは3つに区切られている。それを渡すと、満足そうにパプリカを盛り付けた。赤と黄色を、これまた綺麗に分けて。
満足げに眺めること数日間、「捨てちゃダメ」ということで、怪しく色が変わってきた。可哀そうではあるけれど、自然の摂理には逆らえず、「冷凍するか、レンジするか、捨てるか」と迫ったところレンジとのことで。しっかり乾かすつもりが、けっこう黒焦げになってしまって泣かれるかなと思ったら、「わあ、パプリカのチョコレートだ!」と上手に喜んで、今度はお椀に入れて、今日に至る。
ニャタの話が長いのは私譲りなようで、もう1つ、「うわー、高い!クレーン車がお空にコツンてぶつかっちゃう!」と、高層ビルの工事現場を見かけて言っていた。比喩とか仮定みたいなこと?を言うようになったんだなあ、という日記でした。